愛すべき青色

全部がほんとで、全部がアイドル

救いを求めてしまう私たちに

※去年の智BDに書いて、1年間下書きに眠らせていた文章です※

 

 

 

 

2021年の幕が上がってから、11ヶ月が経ったらしい。

嵐が嵐としてステージに立たなくなって、まだ11ヶ月しか経っていないらしい。

 

これまで何かあっても、「ま、嵐に会う予定がありますんで。」でかわせた全てのことが、かわせなくなって

この生活の空虚を誰か救ってくれと、嘆いた日もあった。

 

私たち、本当によく2021年を生きました。お疲れ様でした(まだ後もう少し残っているけどね)。

 

こんな感情になるのは、これまで、私が、彼らと彼に、少なからず救いを求めていたからだ。

そして、無意識に求めてしまってた救いを、彼らと彼は、いつも、いとも簡単に与え続けてくれていたのだと、なくなって改めて気付かされる。

 

生活の中で嫌なことがあっても、テレビをつければ、ドームに向かえば、FCサイトを開けば、そこにはいつも、変わらない笑顔の彼らと彼がいた。

彼らはいつも、画面の向こうから、ステージの上から、私たちの方を向いて笑いかけてくれていた。

彼は、いつも、自由に生きればいいよと、画面越しに、スピーカー越しに、勇気をくれた。

 

彼らと彼は、欲しい言葉を、感情を、世界を、いつもいつも、私たちの届けてくれていた。

現実の世界で、欲しい言葉や感情がいつも与えられるなんてことがないと理解しているからこそ、私は、彼らと彼に救われていたのだと思う。

嵐のいる世界が、大野智が活動する世界が、間違いなく私を救ってくれていた。

 

そして、現実の世界には、救いばかりではないと理解しているからこそ、

私は、人々からの期待に応えることを手放した彼の決断を受け入れたいと思った。

 

一方で、

今まで当たり前にあった救いがなくなったことで、気付かされる現実の報われなさと生活の空虚さは、いつも私の周りに絡みついて、どこかで彼のことを望んでしまっている自分の存在に気づいては、彼の決断を無意識に否定していることに失望したりしていた。

 

彼の決断を受け入れようとする理性と、彼がいない生活を受け入れきれない感情の狭間で、揺れ続けた11ヶ月だったと思う。

 

・・・

 

2021年11月26日は、大野くんの41回目の誕生日だった。

活動休止中の彼に何かをして欲しいなんてこれっぽっちも思っていなくて、むしろ、何もないことこそ、祝福されるべきことだと“考えて”いた。

頭の中では、そう考えていたけれど、Twitterに表示された「智」の文字を見ると、そんなことどうでもよくなってしまった。

 

大野くんは、結局いつもこちらに手を差し伸べてくれる。

大野くんは、私たちが思っている以上に、私たちのことを考えてくれているし、私たちのことを理解してくれている。

私たちは、結局いつも大野くんに救われてしまうのだ。

 

こんな経験をどこかでもしたことがあるなと思った。

 

休止発表後の5×20ツアーの挨拶もそうだった。

休止前、最後に個展を開いてくれたのもそうだった。

 

手放しても尚、大野くんは、私たちの方を向いて微笑みかけてくれた。

とてつもない優しさを孕んだ手を、私たちの方へ差し伸べてくれた。

これだから、これだから。

 

彼を近くに感じられない日々に空虚を感じても、結局、彼から離れることはできないと思った。

彼のことを応援し続けたいと思う。

 

41回目のお誕生日おめでとう。

大野くんのおかあさん、

いつも大野くんを産んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今がいい」を抱きしめて

「今の大野くんがいい」

そう思いながら、彼を休止へと見送ることができた。

アイドルを担当と呼ぶからには、担当しているその瞬間のアイドルを肯定できなければならないと、私は思っている。


休止発表までの約1年間と、休止が発表されてからのしばらく、私は、大野くんを本当の意味で肯定できなくなっていた。2017年の後半ごろから、笑顔がぎこちなくなって、未来の話をしなくなった彼が、分からなくなっていた。彼がどうしたいのか、ファンはどう応援するべきなのかわからなくなって、不安でたまらなかった。
そして、現在進行形の彼を否定する自分自身を許すことができなくなっていった。

 

2018年12月31日、私は大野担を降りた。

それ以降は、嵐ファンかつ、大野くんは大好きな人というスタンスで、彼を応援することに決めた。正直、意味わからないスタンスだと自分でも思う。拗らせている。理解されなくて当然だ。
ただ私の担当に対する考え方は一つだけ。

「 "今" を肯定できない担当を担当と呼んではいけない」

だから、担降りだった。


当時の大野くんは、抱えるものが大きすぎて笑えなくなっていた。きっと、迷っていたと思うし、色々なことと戦っていた。そして、傷ついていた。

 

大好きに違いはなかったけれど、「今の大野くんがいい」とは、思えなかった。私がもっともっと大人で、包容力ある人間だったら、変わらず担当だったのかなとも思う。だけど、大野くんより18歳若い私には、それができなかった。

私が担当したい大野くんは、嵐のメンバーに囲まれて安心しきった顔で舞台に立っていて、変わらない安定したパフォーマンスがそこにはあって、舞台を降りれば、アイドルスマイルなんか忘れて、作品づくりに没頭していて、私たちファンに向けて、好きなことを本当に嬉しそうに語る大野くんだから。

大好きなのに、大好きだから担降りだった。

 

2019年1月。
嵐が活動休止を発表した。
すべてが繋がり過ぎて、少しこわかった。彼のことをちゃんと見れていたのだと思ったのと同時に、気づけなくて、ファンの願望で縛って、ごめんねとも思った。

 

2020年10月。
5×20ツアーの東京公演に参戦した。休止発表後はじめての現場だった。最後のライブになるかもしれないと思って、彼の、彼らの一瞬一瞬を記憶に収めようと必死だった。

最後のあいさつで、久しぶりに大野くんの口から、彼の未来の話が聞けた。彼の口から聞ける、それだけで安心した。ちゃんと彼を休止へと見送りたいと思った。前を向けた。
後で知ったことだったけれど、あの挨拶には、「ファンの子がこれ以上悲しまないように」という大野くんの思いが込められていた。
大野くんの思いは、私のもとにもちゃんと届いたよ、考えてくれて、思ってくれて、ありがとう。

 


FREE STYLE2020を見に東京に行った。彼の才能に圧倒されるなんて当たり前で、「すごい」以上の感想を言葉にできないことがもどかしかった。作品集を会場受け取りにしていたから、個展に足を運んで、はじめて目にした作品が沢山あった。
初めて見るランプの絵の前で、嬉しくてたまらなくなったことを覚えている。ほかの作品と同じように並んでいるランプの絵が、私には、明るく、光がさしているように思えた。

大野くんが、描きたくなる何かに、出会えたことが、絵から伝わってくるようだった。

好きなものを素直に作品に落とし込む彼が、また、私たちに好きなものの世界を見せてくれた。

前回の個展で色々なことがあったから、私は、これから先、大野くんの新しい作品を見ることはできないと思っていた。もう見せてくれないと思っていた。

だけど、彼はそんな私の想像を遥かに超える優しさで、また、彼の大切な部分を見せてくれた。

もう見れないかもしれないと思っていた世界は、輝いていて、私に希望を感じさせてくれた。大野くんの大切な部分を見せてくれて、ありがとう。

 

2020年12月。
FREE STYLE2020大阪に行った。東京よりも狭い空間に凝縮された彼の作品を見ることができた。
東京のときも見ていたはずだったけれど、なぜか大阪では、歴代の大野くんの肖像を見て「FS2020の大野くんがいい」と強く思った。肖像からは、今までとはちがう、覚悟を決めたまっすぐさが感じられるようだった。

迷いも疲れも一切感じない表情に、「今の大野くんがいいね」と思った。東京に足を運んだときに、そう思わなかったのは、私に、大野くんの覚悟を受け取る準備ができていなかったからかもしれない。12月にして、やっと彼の覚悟と決断を直視できたのかもしれない。

とにかく、久しぶりに感じたそれがうれしくて、帰りの電車で泣いてしまった。

 

晦日
嵐からの前向きなメッセージを、This is 嵐ライブの選曲、演出、パフォーマンス、嵐の表情、言葉、声色のすべてから、強くつよく感じていた。

私が長年信じてきた「エンターテイメント」がそこにはあった。綺麗ごとではなく、人を元気にする、勇気を与える、生きることの目的となるエンターテイメント。

人生の半分を嵐のファンとしてすごしてきて、本当によかったと思った。


そして、大野くんは、最後の最後まで「今がいい」を更新させてくれた。
彼らしい繊細な動きを組み合わせたダンスや、安定した透明感のある歌声、彼らしい優しさと謙虚さの詰まった最後の挨拶、迷いのないすっきりとした表情。
これから見られなくなってしまうというのに、あの日、私は、彼のすべてに、安心していた。いや、彼は、私たちファンを安心させようとしてくれていた。

 

大野くんが、最後の瞬間まで「今がいい」を更新させてくれたことは、私にとって、最高のプレゼントだった。もう見られないかもしれないと思っていた、大好きな大野くんに、また会うことができた。さびしいけれど、大丈夫だと思えた。

「大野くんを応援してきてよかった」

心からそう思えることが嬉しい。

本当に、ほんとうに、ありがとう。

本当に、ほんとうに、お疲れ様でした。

 

大野くんからもらった気持ちを抱きしめて、私は、今日も未来へ渡る。

最高の時間をまた-アラフェス2020 at 国立競技場

思い返してみれば、旧国立競技場が、解体されると決まったあの日から、

私は、新しい“国立”に立つ嵐を、願い続けてきた。

 

きっとそれは、私だけではなくて。
多くの嵐ファンは、嵐と、特別な場所で、特別な時間を過ごしたいと、願い続け、
2020年を迎えたのだと思う。

 

リクルートスーツを着てでも、”嵐の国立”に立ち会いたい」

そう意気込んで、願って、アラフェスに、応募した3月下旬。

 

その後、情勢の雲行きは、どんどん悪くなる一方だった。


オリンピックの1年延期が発表になる。
オリンピックの開会式で、パフォーマンスする嵐を見て、「この人たちを好きになってよかった」って感情でいっぱいになるところまで、想像していたのに。

 

世界で起こっていることが、ただ事ではないという予感だけは、強くなる一方だった。

 

4月中旬。アラフェスの延期が発表となった。

悔しくてたまらない気持ちと、誰も責められない気持ちと、やりきれなさでいっぱいになったのを覚えている。

秋でも、冬でもいいから、新しい国立に立つ嵐を見たいという気持ちだけは強くもっていた。

 

「嵐にとって大切な1年なのに。」

各媒体で悔しさをのぞかせる嵐の姿を見ては、
どんな形で、今年を終わらせるのだろうという言語化し難い不安感に襲われた。

だからと言って、責任感の強い嵐だから、活動休止を延ばすなんてことはしないだろうとも思っていた。

 

9月15日。
嵐結成21周年の節目に、オンラインでのアラフェス開催が発表された。
ファン全員が、特別なコンサートに立ち会えるという小さな安堵感と、
私は立ち会えなくてもいいから、嵐にファンでいっぱいになった、新国立の景色をみせたかったという悔しさがごちゃまぜになった。

 

何より、嵐には、やりきったという気持ちで、2020年12月31日を迎えて欲しいと思っていた。

 

正直、11月3日(火)を終えるまでは、悔しさと不安感が、ほとんどだったと思う。
無観客の会場を見た嵐は、どんな表情をするんだろう。
このまま、ずっと同じ時間を過ごせないなんてことはないよね。

 

でも、こんな心配、全部ぜんぶ意味なかったなって、

アラフェス2020が終わった今なら思うことができる。

 

私、たくさんいるアーティストの中から、

10年間も「嵐」を選び続けている理由、忘れてなかった?

 

同じ時間を過ごそうと、生配信してくれる心意気も、

初恋を思い出すような、ぐだぐだ企画も、

無観客の会場を見つめる悔しそうな眼差しも、

画面のこちら側に送ってくれる1000%の笑顔も、いつも通りのファンサも。

あの1日のすべてが、私が今まで信じてきたエンターテインメントだった。
「この時間が、ずっとずっと続けばいいのに」そう思わずにはいられなかった。

 

今までも、今も、未来も。
すべてのベクトルを包み込むように作られたプログラムは、
思いやりに溢れていて、私の不安が、嵐によって一つひとつ、拭われてゆくような感覚だった。

 

「こんなエンタメ、見たことない!」
そう思い続けて、10年近く。
やっぱり、嵐を信じてきてよかったと、心から思った。

5×20ツアーで、これ以上の多幸感はもうどこにもない、どうしようと思っていたけど、最高が、また更新されたところを見た。

 

ファンが見たいものを見せてくれるやさしさと、

長年の活動で培ったアイドルとしての経験値、
無観客というネガティブな要素でさえ、

逆手にとってポジティブな要素に変えてしまう嵐の柔軟な力強さ。

 

何にも、不安に思うことなんてなかったじゃない。

嵐のエンターテインメントは、どこをどう取ったって、”世界一”だ。

 


嵐が見せてくれる世界は、いつも、いつでも、まぶしいから。


嵐のエンターテインメントを信じて、
これからも、愛しすぎる日々を、大切に歩もうと思う。

 

 

 

5×20に参加して半年が経って書き残したいこと

嵐の休止発表後、初の現場である5×20ツアー10月30日東京公演に参戦して半年が経った。

ここ数日、この公演で感じたことを文字に起こしたいと強く感じる出来事があったので、情報鮮度は低いがパソコンを開くこととする。

 

 

 

私がこのコンサートに参戦して思ったことは、ただ一つ。

 

「エンターテイメントの力」は存在するということだ。

 

私は、この東京公演に参戦するまで、どうしても嵐のことを、「活動休止を控えた」嵐としてしか見れなかった。

「活動休止するから」目に焼き付けようとか、「活動休止するから」ちゃんと応援しなきゃとか、特別な色眼鏡をかけて嵐をみてしまっていた。

 

そんな私が、はっとさせられたのは、櫻井くんの言葉、だった。

それまでの私は、色眼鏡をかけていることにすら気づかず、納めよう、おさめようとしていた。しかし、櫻井くんはそんな私を一喝するかのように「来年末で活動休止する嵐の皆さんです。ちゃうちゃう。今年で20周年を迎える嵐の皆さんです。」と言った。

そうだ。嵐が5×20ツアーで、たくさん公演するのは、決して「暫しの間さよなら」を伝えるためではなく、「嵐が20年間変わらず、5人で活動してきたことを、ファン全員でお祝いする」ためなのだ。

櫻井くんの挨拶を聴いて、せめて、これからの自分は、嵐の軌跡を、1番に祝福しようと思った。櫻井くんにこの言葉を貰わなかったら、今も私は、おめでとうを忘れて、さよならを言い続けていたのかもしれない。

 

そして、大野くんの最後のあいさつ。

母から、5月の福岡公演のレポを貰っていたので、十分知っていたつもりだったけど、「生」の力を感じた。

それまで、大野くんの「休みたい」が理解できず、なかなか前に進めなかった私だった。

しかし、「活動休止後も体型維持しようと家で1人コンサートしようと思う。」そう言い放った、大野くんの、休止発表前とは明かに違う声色や表情、そして言葉を、真近に感じることが出来て、ぐるぐると縛られた心の縄が解けていくような気持ちになった。

「大野くんが前進しているのに、私が進まない訳にはいかない」と強く思った。

後に大野くんのこの言葉は、大野くんらしいやさしさが詰まりにつまったものであったことを知った。大野くんのやさしさ、私のもとにもちゃんと届きました。

 

 

コンサートのあの空間には、特別な力がある。アイドルと私達は、あの空間で、色んなものを共有することができる。

「彼方へ」にある「今日の陽が昇るまで 音楽がコトバ以上 真心伝うこと 幾度となく見てきた」という歌詞は、コンサートに携わる人それぞれの実感を伴ったものだと思う。

少なくとも私は、たくさんの音楽にのせてあの日、嵐が伝えてくれたポジティブなメッセージのおかげで、前に進めている。あの日の記憶を一生忘れないように、何ヶ月経っても、反芻して、守っていきたい。

 

そして、「エンターテイメントの力」を信じて、明日を待ち続けたいと思う。

 

 

嵐とわたし、

休止発表後はじめてちゃんと彼らについて公に残したい!と思えたので、パソコンを開くこととする。今日なら素直に書けると思う。これから先、嵐に関して迷いそうになったら私は自分自身にこの文章を読み聞かせるつもりだ。

 

 遡ること1月中旬、私はインフルエンザに冒されていた。2週間後にテスト、1か月後に初の海外留学を控えた私にとって、インフルエンザは痛手でしかなかったし、もっと言えば、短期だと言ってもこれから異国で暮らさなければならないのに、自分の体調すら管理できない自分に嫌気がさして止まなかった。ギリギリでいつも生きてしまう私は、今回のテストも留学もギリギリだけど、きっと成功させてやろうと、何とか気持ちを前に向かせようとしていた。嵐の活動休止発表はその一週間後のことだった。

 わからなかった。大野くんひとりの気持ちで、他の4人の、もっと言えば嵐を取り巻く人達の生活や将来が大きく変わってしまっていいものなのか、こんなに太くまっすぐに進んできた彼らを止めてしまっていいものなのか。嵐がわからなかった。だけど大野くんにお仕事のモチベーションがないことはなんとなくわかっていたから、そこだけは理解している自分がいた。こんな時になってやっと、大野くんと、繋がれてしまったと感じた。夜も更けてきて、ワイドショーがうるさいくらいに、嵐の会見を放映しはじめていることをツイッターで知った。ゼミの期末レポートを完成させるまで、会見は絶対に見ないと決めていたので、私が会見を見たのは深夜23時過ぎだった。全部わかりすぎて、色々なことが繋がりすぎて、正直こわいと思った。嵐5人が素敵で優しすぎて、涙が止まらないなんて当たり前で、声が自然に溢れてしまって、体の中身が絞り取られる感覚だった。嵐という一大プロジェクトを、近すぎて遠い所から眺めている私を、客観視している自分がいた。映画のワンシーンに入ってしまった感覚のモブおじAな自分と、すごい悲しさの波にのまれそうになっている等身大の自分がいて、嵐という奇跡が暫く、近くで見れなくなること、いつ見れるようになるのか分からないことが、悲しくて、大野くんにこんな気持ちにされていることが少しだけ悔しかった。日本人全員が嵐の休止を静かに悲しんでいて欲しいのに、メディアも、周りの環境もそんな訳なくて、言ってしまえば、ファン以外にとって嵐はたかが国民的アイドルで、エンタメのひとつでしかなくて、自分が見てきた嵐の真価を本当に疑いたくなった。そういう自分が一番嫌いだと思った。最高の楽しいをくれる最強にやさしい嵐の、社会的影響力を改めて認識した瞬間だった。私が見てきた嵐とは一体何だったのだろうかと必死で考えた。

 次の日、レポートを提出しに学校に行った。テスト勉強がつらい時はいつも「今日から私は櫻井くん」というスローガンを胸に、櫻井翔ならどういう選択をするのか、ということを考えるようにしている私は、今回も「櫻井くんならレポートはちゃんと出すし、テストも受ける、きっとそう、だから私も。」と思っていたけどレポートを出し終えた途端に涙が止まらなくなって、直帰した。外に居て聞こえてくる「嵐」と嵐に関連するワードが矢みたいに私の方に向かってきて、刺さるのではないのかとこわかった。この時の私は晩御飯のことを忘れるくらいおかしくて、いつも通りのことが出来なかった。そして、嵐を追いかけはじめた頃からの出来事を思い出していた。過去の亡霊というやつになっていた。嵐と共に、自分の過去と対面して、どんな時も大好きなものがあることはすごく素敵なことだけれど、それを失うことの怖さにはじめて気付いた気がした。自分崩れちゃうかもなと本気で思ったりもした。だけど、案外私という人間は頑丈に出来ていて、それを思ったのを最後に、それ以上大きくぐらつくことはなかったし、今もぐらついていない。なんとまあ、こういう時だから交通事故に注意しようとか冷静すぎることを考えている自分もいて、「嵐を前にした自分きもちわるいが飽和して面白すぎん?」などど自惚れたりもしていた。3周くらい考えた結果、私の過去に寄り添い続けてくれた大野くんや嵐が、必死に美しい世界を見せようとしてくれている状況で、自分の寂しいや悲しいなどという気持ちだけを嘆くだけの、生半可なオタクではいたくないという結論に至った。

 

  私は今までオタクが行き詰る度に、「ファンとは?」ということを考えてきた。櫻井くんの表現をかりるなら嵐と言う一大プロジェクトに協賛する人がファンだし、わたしなりの解釈では、嵐のことをきちんと肯定できる人、嵐の行く道を照らし出す存在がファンだと思う。私は今、プロジェクトの進行を阻む存在になってはならない。嵐の行く道に、雲がかかりそうな今だからこそ、私たちファンはその道を照らし続けなければならない。嵐のした選択を一日も早く本当の意味で理解して、受け入れなければならないのだ。

 こんな強気なことを書いてみたものの。実際は発表から4ヶ月が経とうとしている今も、私の気持ちは不安定で、嵐のことを直視出来ないときがある。ファンではない人から見れば「嵐の休止」たったそれだけの事実だが、ファンにしてみれば十分に辛すぎる事実で、ひとりで抱えるには重たすぎると思う。私は最近、こんな気持ちは嵐ファン同士でなければ分かり合えないと思いながら、嵐ファンの先輩や友達、後輩、家族と話している。もしかしたら、私が話すことで私はほかの嵐ファンを傷つけているのかもしれない。そう思って、話すことに臆病になっている自分は確かに存在している。だけど、自分が本当の気持ちを話してみてはじめてわかったことがある。それは、それぞれが観ている嵐は同じでも、捉え方は人によって違うのだということだ。私は、嵐を好きだと思う人達がそれぞれの窓から切り取った嵐をもっともっと聞きたい。そして、わかり合いたいと強く思う。そのために、嵐ファンである私は嵐のことを、これからも胸を張って好きだと言うし、その一手段として今、ブログを書いている。ファンはみんな「嵐が好き」だ。こんなに大きな共通項で括られることのできる私達は、きっと共感し合えるし、嵐が前を向いている間は、大丈夫だ。強くつよく行ける。

 

 最後に、一人でも多くのファンと分かり合いたいからこそ、今回タイトルに付けた「嵐とわたし、」について私なりの言葉で記しておくこととする。私はどんな嵐も肯定したいと思って応援してきた。一般人の私は、一般人みたいなスーパーアイドルを肯定すること、そして、どうやって肯定するのかを考えることで、彼らからたくさんの勇気をもらってきた。私が頑張る時はいつも彼らの音楽が側にあって、悲しい時はいつだって、彼らの笑顔が励ましてくれた。全部を捨ててしまいたいと思った時、「全部置いてけよ」って、「元気にしてやるよ」って言ったのは彼らだったし、冗談めかして「大尊敬嵐さん」って呼んでいたこともあったけれど、それは本当で、私にとって彼らはいつまでも大尊敬したい存在だ。長い間、私を心の内側から支えてくれた彼らには「ありがとう」の気持ちしかない。私はこれからも彼らの音楽、エンターテイメントに魅了され続けるし、これからは、嵐が続くように、微力でも、私個人ができることをしていく。

 「大野智とわたし。」についても記しておく。私は彼のことがずっと大好きで、彼のことは何でも理解したいと思ってきたし、文章に出来るならしたいと何度も思ってきた。だけど彼はすごく繊細な心の持ち主で、純粋で、複雑で、私の文章には起こせなくて、どうしても陳腐になってしまって、「下書きの肥やし後、デリート。」が、私の理解力と語彙力と私の見ている彼だと思っていた。その彼の掴めなさがまた魅力で、掴みたくて、掴みたくて、大好きだった。彼が続けていたという5年日記を私も書いてみたり、伊藤若冲やノーマンロックウェルの絵を調べたり、ラジオを録音して何回も聞いたり、そんなオタクライフは最高に充実したものだった!彼はたまに、純粋さ故に、すごく破天荒なことをするし、したいのだということに、薄々気付いていた。大野智は破天荒で潔いアイドルだと、私の日記には書いてあった。その破天荒がどうか「嵐を辞めたい」でありませんようにと願うあまりに、私は嵐ファンでいる私と大野担でいる私にすごい矛盾を感じていたのだと思う。たぶんそれは、彼も同じで、私が迷っているときに彼も、嵐の大野智と人間大野智の間で揺れていたのかなと勝手に想像している。私が今回の発表を受け入れられたのは、大野智が第一発案者だったからだ。私が担降りしようか迷っている時に彼もたぶん沢山揺れていたのだと思えたからだ。担降りのタイミングに若干の後悔はあるけど、実際は、お互いが矛盾から解放され始めたタイミングだったのだと思いたい。「大野くんが書いているから私も!」単純バカな理由で始めた5年日記には、私というオタクが見てきた彼が沢山記されていた。その上で発表を聞けたから、わたしは今、本当の彼をやっと掴めた気がしている。だから担上がりはしない。だけど、私がただただ大好きと好奇心だけでしてきたオタクは、全部無駄じゃなかった。あの瞬間、私は私の見てきた大野智に確実に救われていた。私の見ている彼は彼でしかなくて、大野智大野智としか表現できない、オンリーワンが彼だ。私は彼をちゃんと愛していたし、愛せていたし、彼はファンからの愛を受け取り過ぎて、このままでは潰れてしまっていたのかもしれない。だから、私は「休みたい」にまとめられてしまう、彼の選択を、理解しようと思う、いち嵐ファンとして、受け入れようと思う。ちゃんと私が受け入れて、彼がきちんと休んで、いつの日か艶々の顔をして彼が帰ってくるのだとすれば、その彼は私の一番好きな彼だから、私はきっと彼を大好きな人ではなくて、担当と呼びたくなると思う。何やかんやで、いつまでもどこまでも、私は大野智が大好きだ。担当という言葉で表すには、この気持ちは重過ぎて、今の彼を縛ってしまう気がするので、彼が帰ってくるその日までこの言葉は誰にも渡さずにしまっておく。

 

 

これが私の「嵐とわたし、」であり、「大野智とわたし。」である。

 

 

 

 

読んでくださった方の「嵐とわたし、」よかったらコメント欄で聞かせてください!

きみの心が大好きで

5×20ツアー名古屋に、参戦してきた。

参戦して、大野くんに関してわかったことは、今の彼に個人のお仕事をするモチベーションはあまりないということ。彼の口からそれが聞けて、もちろん落胆はしたけれど、正直、少しほっとしている自分がいる。

 

思い返してみると、さとラジが終わってから、大野くんは今何を考えているのかだとか、大野くんまた嵐辞めたいと思っていないだろうかかだとか、色んなことを憶測で考える悪い癖がついてしまっていた。そして私は、雑誌を隅から隅まで読んだり、録画を何往復もしたり、同じように大野くんのことを思うオタクのTwitterを見たり、色んな方法で大野くんの気持ちを必死に探ろうとしていた。だけど、私がしてきたことからは、何一つはっきりとした彼の意思を見つけることは出来なかった。

だから、彼のそのままの気持ちを久しぶりに聞けて、苦しかったけどほっとしたのだと思う。

 

 

今更ながら、はっきり言う。さとラジが終わって、忍び旋風が落ち着いてから、私の中の彼は鮮明さを失った。彼は自分の気持ちを言葉や表情にすることをすごく苦手としていて、だからこそ彼の気持ちを知ることのできる個人の活動は重要で、私にとってさとラジは彼の気持ちを知るうえですごく大事な時間だった。さとラジはファンと彼を繋ぐ大事な大事な5分間弱だった。忙しい時に、「忙しいです。でもやるしかないです。」って言う彼なりの真摯さが好きだった。忙しくないときにはわかりやすく「そんなに大したことないですよ。」って言う彼の飾らなさが好きだった。もちろん、彼の歌、彼のダンスにはずっと魅かれている。だけどその感情の根底には、大野くんが忙しい中届けてくれる歌だからとか、大野くんが考えに考え抜いた振り付けだからとか、精神的な理由も少なからず含まれていたと思う。

そんな時間が無くなってしまった今、私は、現在進行形の彼を過去のものとして見てしまうし、今の彼を否定してしまう。私が一番嫌って来たこと。したくなかったこと。

 

 

担降りです。

きっと大野くんは何も変わってなんかいなくて、そのままに老いようとしているし、変わらず嵐のことを好きでいる。変わったのは、彼を取り巻く環境の一つと、それに順応できずもがいた私だ。大野くんは何一つ悪くない。むしろ今まで、大野くんの世界や心に少しでも触れることが出来て幸せだった。私に歌や踊りで感動を与えてくれたはじめての存在が大野くんだった。私を救う言葉をくれたのは大野くんだった。

名古屋で、彼の変わらなさにもう一度気付くことが出来てよかった。私の中で彼を応援した思い出、彼からもらった気持ちは一生消えることのない宝物だ。

 

大野くん、沢山たくさんありがとう。

これからもどうか変わらず、お元気で。

 

 

 

 

 

愛にまつわるエトセトラ

 はじめてのうわきを経て、見事なほどにキンプリちゃんと平野紫耀に堕とされた私が、決めたことがある。

 

「大野くんに次の大きな仕事が来たら、それを見届けて彼から担降りをする」

 

 未練がましいオタクだと言われるかもしれない。都合がいいオタクだと言われるかもしれない。だけど、文春に嵐の二人が撮られて、キンプリちゃんのコンサートが終わって、自分なりに考えて考えて出した、私の結論だった。今からその言い訳をしようと思うので不快に思う方はUターンを願いたい。

 

自担が幸せになるということ

 このことについては、今まで何度も考えてきたつもりだった。2015年の秋の始まり、おそらく失恋をして泣きはらした顔の自担が、それでもステージに立ち続けてくれた自担が、人間らしくて、すこしだけわがままだった自担が、私は大好きだ。

  そんな彼にも、彼らにも幸せの時が近づいているんだなって、文春さんが否が応でも思い知らせてくれた。ファンでいるなら、大好きな人がした選択をちゃんと受け入れなければと思う。だって私の自担は私たちの存在をいつだって肯定し続けてくれているから。私も自担のことだけは絶対に否定したくない。応援しはじめた頃は、お兄ちゃんと呼べた彼らも、アラフォーと呼ばれる大人になって、だけど、私はまだ結婚、ていうか、恋愛すら理解していない。私には担当のする選択を受け入れられる器がきっとまだ備わってない。18歳上の大好きな自担には私が大人になりきるまでずっとずっとお兄ちゃんで居て欲しいと思ってしまう。だから大好きな人達、大好きな自担を否定する前に私は担当を降りようと思った。

 

オタクの慣性

 もっともらしい綺麗なことを並べて降りようとしているオタクがひとり。

 実際のところ私は大野くんを追いかけることを慣性でやっている部分があって、いきなりそれを止めるにはすごい力が必要で。走る車に急ブレーキをかけるとすごい熱が生まれるのと同じように、いきなり担当をやめてしまえば、私はすごい悲しみとか後悔に苛まれるんだろうなと思う。だから一段一段階段を降りるように、丁寧に自担から降りていきたいと思う。

 

自担の大仕事を見届ける仕合せ

 忍びの国が公開した日のことを私は一生忘れないと思う。原作を読まずに大野くんの演技だけを見てただただ涙して、映画館の椅子から立ち上がれなくなる感覚。自担の映画が公開されることに対する誇らしさと、自担の演技にいい意味で最後まで裏切られ続ける喜び。何回思い出したって、こんなにオタク冥利に尽きることはないなぁと思う。以下は忍びの国を見た日の私の5年日記だ。

自分の好きな人がすり減るように頑張った作品にいい意味で裏切られたいから、大野くんがすり減る姿を見るのはしんどいけど、その過程を含めて、自担の映画が見たいです。素敵な経験、ほんとにありがとう、大野くん。また少し休んだら演技のお仕事やって欲しいな。

 

 私は、本当にわがままなファンだと思う。だけど大野くんの頑張る姿を見届けたら絶対に降りることに後悔しないと思う。いっぱいに満たされたありがとうの気持ちで私は大野くんを降りられると思う。何が大きな仕事なのか、私の中では正直はっきりしていない。主演映画かもしれないし、連ドラかもしれないし、紅白の司会かもしれない。私がこれだって思ったお仕事を見届けたら降りる。ほかの人にはとやかく言わせない。降りるのは私だ。

 

ありがとうで閉めること

 私が期限を定めて応援したって、今すぐ担当を降りたって、降りなくたって大野くんには関係のないことだろう。だけど。部活で悔しくて泣いたとき、勉強に行き詰ったとき、将来のことに悩んだとき、人とどう関わっていいかわからなくなったとき、どんな時も自然体でいいんだよ、頑張るべきときに目の前のことを頑張ればいいんだよって、メッセージを届けてくれたのは大野くんだった。だから、これは、オタクの自己満で、最後のわがままだ。ちゃんとツアーに当たってありがとうを伝えてから終わりたい、降りようと決めた。外れたらどうなるかなんて外れなきゃわからないけど、決めた。

 

だから私は、私が満足するまで胸を張って大野くんを自担って呼ぶし、近い将来、それを辞める。