愛すべき青色

君と君に首ったけを綴る。

愛にまつわるエトセトラ

 はじめてのうわきを経て、見事なほどにキンプリちゃんと平野紫耀に堕とされた私が、決めたことがある。

 

「大野くんに次の大きな仕事が来たら、それを見届けて彼から担降りをする」

 

 未練がましいオタクだと言われるかもしれない。都合がいいオタクだと言われるかもしれない。だけど、文春に嵐の二人が撮られて、キンプリちゃんのコンサートが終わって、自分なりに考えて考えて出した、私の結論だった。今からその言い訳をしようと思うので不快に思う方はUターンを願いたい。

 

自担が幸せになるということ

 このことについては、今まで何度も考えてきたつもりだった。2015年の秋の始まり、おそらく失恋をして泣きはらした顔の自担が、それでもステージに立ち続けてくれた自担が、人間らしくて、すこしだけわがままだった自担が、私は大好きだ。

  そんな彼にも、彼らにも幸せの時が近づいているんだなって、文春さんが否が応でも思い知らせてくれた。ファンでいるなら、大好きな人がした選択をちゃんと受け入れなければと思う。だって私の自担は私たちの存在をいつだって肯定し続けてくれているから。私も自担のことだけは絶対に否定したくない。応援しはじめた頃は、お兄ちゃんと呼べた彼らも、アラフォーと呼ばれる大人になって、だけど、私はまだ結婚、ていうか、恋愛すら理解していない。私には担当のする選択を受け入れられる器がきっとまだ備わってない。18歳上の大好きな自担には私が大人になりきるまでずっとずっとお兄ちゃんで居て欲しいと思ってしまう。だから大好きな人達、大好きな自担を否定する前に私は担当を降りようと思った。

 

オタクの慣性

 もっともらしい綺麗なことを並べて降りようとしているオタクがひとり。

 実際のところ私は大野くんを追いかけることを慣性でやっている部分があって、いきなりそれを止めるにはすごい力が必要で。走る車に急ブレーキをかけるとすごい熱が生まれるのと同じように、いきなり担当をやめてしまえば、私はすごい悲しみとか後悔に苛まれるんだろうなと思う。だから一段一段階段を降りるように、丁寧に自担から降りていきたいと思う。

 

自担の大仕事を見届ける仕合せ

 忍びの国が公開した日のことを私は一生忘れないと思う。原作を読まずに大野くんの演技だけを見てただただ涙して、映画館の椅子から立ち上がれなくなるほど呆然とする感覚。自担の映画が公開されることに対する誇らしさと、自担の演技にいい意味で最後まで裏切られ続ける喜び。何回思い出したって、こんなにオタク冥利に尽きることはないなぁと思う。以下は忍びの国を見た日の私の5年日記だ。

自分の好きな人がすり減るように頑張った作品にいい意味で裏切られたいから、大野くんがすり減る姿を見るのはしんどいけど、その過程を含めて、自担の映画が見たいです。素敵な経験、ほんとにありがとう、大野くん。また少し休んだら演技のお仕事やって欲しいな。

 

 私は、本当にわがままなファンだと思う。だけど大野くんの頑張る姿を見届けたら絶対に降りることに後悔しないと思う。いっぱいに満たされたありがとうの気持ちで私は大野くんを降りられると思う。何が大きな仕事なのか、私の中では正直はっきりしていない。主演映画かもしれないし、連ドラかもしれないし、紅白の司会かもしれない。私がこれだって思ったお仕事を見届けたら降りる。ほかの人にはとやかく言わせない。降りるのは私だ。

 

ありがとうで閉めること

 私が期限を定めて応援したって、今すぐ担当を降りたって、降りなくたって大野くんには関係のないことだろう。だけど。部活で悔しくて悔しくて泣いたとき、勉強に行き詰ったとき、将来のことに悩んだとき、人とどう関わっていいかわからなくなったとき、どんな時も自然体でいいんだよ、頑張るべきときに目の前のことを頑張ればいいんだよって、メッセージを届けてくれたのは大野くんだった。だから、これは、オタクの自己満で、最後のわがままだ。ちゃんとツアーに当たってありがとうを伝えてから終わりたい、降りようと決めた。外れたらどうなるかなんて外れなきゃわからないけど、決めた。

 

だから私は、私が満足するまで胸を張って大野くんを自担って呼ぶし、近い将来、それを辞める。