愛すべき青色

君と君に首ったけを綴る。

IROあせないで、2018夏。

 今年も、夏が行く。

 大学生の私にもいよいよ秋がやってきた。

 

 夏のはじまり、親友とした「平成最後の夏は、色んなこと気にせずにいっぱい遊ぼうね。そんで次の○○(次の元号)最初の夏は、うちらが背負ってく時代だから、お互いに実習やらインターンやら頑張ろうね。」という会話。なんでだろうな、平成最後の日々を過ごしてるのに、夏にだけは平成最後ってつけたくなる現象。とにかく私はこの会話の責任を取るべく、毎週のように遊んだし、やりたいことも、しなきゃいけないこともした。こんなにたくさん遊んだのは生まれて初めてだったし、それに伴う移動も強行スケジュールも初めてだった。だからこそなのかもしれない。今年の夏は私の中の「最高の夏」が更新された感覚がはっきりあった。

素直に書こう。

平成最後の夏、楽しかった!!

  

 そんな夏の終わりって、誰しも淋しさを感じるものだと思う。今になって私も淋しくなって、嵐の夏の終わりソングを聴いてこの気持ちをやり過ごそうとしている。嵐の夏の終わりソングのすべてに共通して言えることは、夏の爽やかさの中に、何とも言えない切なさがあること。嵐って私が好きになった時期もあるかもしれないけど、夏のアリーナとか国立で青春をくれたグループだし、同時に、過ぎる時間の切なさを教えてくれたグループだと思っている。

 

そんな中で、私の気持ちにぴったりあてはまる曲があった。正直、いままでそんなことあるかよって思ってた曲、だけど今年になってやっとわかるようになった曲。それが「IROあせないで」だ。「IROあせないで」と言えばいつかの会報で櫻井くんが歌詞について言及していて、中学生だった私は、櫻井くん難しいこと書いているなって思った記憶があった。そして、この記憶を頼りに私は、会報ファイルから再び彼の言葉を引っ張り出すことに成功した。

これ(「IROあせないで」)は当時からすごい好きな曲で、"灼けた肌が覚めるのが 今年はさびしいよ それは大人になることと たぶん似てる"ってフレーズが大好きだったんだけど。それはもう、今は共感しないんだ。むしろ、"この気持ち 色あせないで"っていうサビの方だよね。曲ってさ、年とともに成長するし、意味合いが変わっていくじゃない。"この気持ち 色あせないで"って歌ってた10代の時と、今いう"色あせないで"って…やっぱり違うよなって思う。

        嵐ファンクラブ会報61号「メンバー系 アラシコンピ!2012‐2013」より

 

 櫻井くん、流石だ。今の私の気持ちを100%代弁してくれている。いま私、灼けた肌のフレーズにめちゃめちゃ共感してる。日焼けが薄くなるの女子的には嬉しいことなんだけど、それと共に色んなことに心躍らせた夏の日々も忘れるのかと思うとちょっと淋しいと思う。同じように、今は、はじめてで緊張したりわくわくしたりすることに慣れて、大人になることもちょっと淋しいことだ。

  2002年、20歳の櫻井くんが大好きだったというフレーズを、あと数日で20歳になる私が大好きでいる。音楽が時代を越えるってこういうことを言うのかもしれない。だけど、櫻井くんのこの言葉は、30歳を越えた櫻井くんだからこそ生まれた言葉だと思う。そういう意味で、やっぱり櫻井くんは、そして、この曲を歌う嵐は、私の前を進む人達で、私はそういう彼らを何歳になっても、担降りをしても、ずっと尊敬し続けるんだと思う。

 

 いつもの道、家まで送ってくれる人はいなかったけど、歩道橋で夕陽のオレンジにいとしさをせつなくされたこともなかったけど、たくさん遊んで、たくさん学んで、たくさんのはじめてを経験した、10代最後の夏の "この気持ち 色あせないで" って気持ちだけは本物だ。

 

 

HERE WE GO ! (通常盤)