愛すべき青色

全部がほんとで、全部がアイドル

嵐とわたし、

休止発表後はじめてちゃんと彼らについて公に残したい!と思えたので、パソコンを開くこととする。今日なら素直に書けると思う。これから先、嵐に関して迷いそうになったら私は自分自身にこの文章を読み聞かせるつもりだ。

 

 遡ること1月中旬、私はインフルエンザに冒されていた。2週間後にテスト、1か月後に初の海外留学を控えた私にとって、インフルエンザは痛手でしかなかったし、もっと言えば、短期だと言ってもこれから異国で暮らさなければならないのに、自分の体調すら管理できない自分に嫌気がさして止まなかった。ギリギリでいつも生きてしまう私は、今回のテストも留学もギリギリだけど、きっと成功させてやろうと、何とか気持ちを前に向かせようとしていた。嵐の活動休止発表はその一週間後のことだった。

 わからなかった。大野くんひとりの気持ちで、他の4人の、もっと言えば嵐を取り巻く人達の生活や将来が大きく変わってしまっていいものなのか、こんなに太くまっすぐに進んできた彼らを止めてしまっていいものなのか。嵐がわからなかった。だけど大野くんにお仕事のモチベーションがないことはなんとなくわかっていたから、そこだけは理解している自分がいた。こんな時になってやっと、大野くんと、繋がれてしまったと感じた。夜も更けてきて、ワイドショーがうるさいくらいに、嵐の会見を放映しはじめていることをツイッターで知った。ゼミの期末レポートを完成させるまで、会見は絶対に見ないと決めていたので、私が会見を見たのは深夜23時過ぎだった。全部わかりすぎて、色々なことが繋がりすぎて、正直こわいと思った。嵐5人が素敵で優しすぎて、涙が止まらないなんて当たり前で、声が自然に溢れてしまって、体の中身が絞り取られる感覚だった。嵐という一大プロジェクトを、近すぎて遠い所から眺めている私を、客観視している自分がいた。映画のワンシーンに入ってしまった感覚のモブおじAな自分と、すごい悲しさの波にのまれそうになっている等身大の自分がいて、嵐という奇跡が暫く、近くで見れなくなること、いつ見れるようになるのか分からないことが、悲しくて、大野くんにこんな気持ちにされていることが少しだけ悔しかった。日本人全員が嵐の休止を静かに悲しんでいて欲しいのに、メディアも、周りの環境もそんな訳なくて、言ってしまえば、ファン以外にとって嵐はたかが国民的アイドルで、エンタメのひとつでしかなくて、自分が見てきた嵐の真価を本当に疑いたくなった。そういう自分が一番嫌いだと思った。最高の楽しいをくれる最強にやさしい嵐の、社会的影響力を改めて認識した瞬間だった。私が見てきた嵐とは一体何だったのだろうかと必死で考えた。

 次の日、レポートを提出しに学校に行った。テスト勉強がつらい時はいつも「今日から私は櫻井くん」というスローガンを胸に、櫻井翔ならどういう選択をするのか、ということを考えるようにしている私は、今回も「櫻井くんならレポートはちゃんと出すし、テストも受ける、きっとそう、だから私も。」と思っていたけどレポートを出し終えた途端に涙が止まらなくなって、直帰した。外に居て聞こえてくる「嵐」と嵐に関連するワードが矢みたいに私の方に向かってきて、刺さるのではないのかとこわかった。この時の私は晩御飯のことを忘れるくらいおかしくて、いつも通りのことが出来なかった。そして、嵐を追いかけはじめた頃からの出来事を思い出していた。過去の亡霊というやつになっていた。嵐と共に、自分の過去と対面して、どんな時も大好きなものがあることはすごく素敵なことだけれど、それを失うことの怖さにはじめて気付いた気がした。自分崩れちゃうかもなと本気で思ったりもした。だけど、案外私という人間は頑丈に出来ていて、それを思ったのを最後に、それ以上大きくぐらつくことはなかったし、今もぐらついていない。なんとまあ、こういう時だから交通事故に注意しようとか冷静すぎることを考えている自分もいて、「嵐を前にした自分きもちわるいが飽和して面白すぎん?」などど自惚れたりもしていた。3周くらい考えた結果、私の過去に寄り添い続けてくれた大野くんや嵐が、必死に美しい世界を見せようとしてくれている状況で、自分の寂しいや悲しいなどという気持ちだけを嘆くだけの、生半可なオタクではいたくないという結論に至った。

 

  私は今までオタクが行き詰る度に、「ファンとは?」ということを考えてきた。櫻井くんの表現をかりるなら嵐と言う一大プロジェクトに協賛する人がファンだし、わたしなりの解釈では、嵐のことをきちんと肯定できる人、嵐の行く道を照らし出す存在がファンだと思う。私は今、プロジェクトの進行を阻む存在になってはならない。嵐の行く道に、雲がかかりそうな今だからこそ、私たちファンはその道を照らし続けなければならない。嵐のした選択を一日も早く本当の意味で理解して、受け入れなければならないのだ。

 こんな強気なことを書いてみたものの。実際は発表から4ヶ月が経とうとしている今も、私の気持ちは不安定で、嵐のことを直視出来ないときがある。ファンではない人から見れば「嵐の休止」たったそれだけの事実だが、ファンにしてみれば十分に辛すぎる事実で、ひとりで抱えるには重たすぎると思う。私は最近、こんな気持ちは嵐ファン同士でなければ分かり合えないと思いながら、嵐ファンの先輩や友達、後輩、家族と話している。もしかしたら、私が話すことで私はほかの嵐ファンを傷つけているのかもしれない。そう思って、話すことに臆病になっている自分は確かに存在している。だけど、自分が本当の気持ちを話してみてはじめてわかったことがある。それは、それぞれが観ている嵐は同じでも、捉え方は人によって違うのだということだ。私は、嵐を好きだと思う人達がそれぞれの窓から切り取った嵐をもっともっと聞きたい。そして、わかり合いたいと強く思う。そのために、嵐ファンである私は嵐のことを、これからも胸を張って好きだと言うし、その一手段として今、ブログを書いている。ファンはみんな「嵐が好き」だ。こんなに大きな共通項で括られることのできる私達は、きっと共感し合えるし、嵐が前を向いている間は、大丈夫だ。強くつよく行ける。

 

 最後に、一人でも多くのファンと分かり合いたいからこそ、今回タイトルに付けた「嵐とわたし、」について私なりの言葉で記しておくこととする。私はどんな嵐も肯定したいと思って応援してきた。一般人の私は、一般人みたいなスーパーアイドルを肯定すること、そして、どうやって肯定するのかを考えることで、彼らからたくさんの勇気をもらってきた。私が頑張る時はいつも彼らの音楽が側にあって、悲しい時はいつだって、彼らの笑顔が励ましてくれた。全部を捨ててしまいたいと思った時、「全部置いてけよ」って、「元気にしてやるよ」って言ったのは彼らだったし、冗談めかして「大尊敬嵐さん」って呼んでいたこともあったけれど、それは本当で、私にとって彼らはいつまでも大尊敬したい存在だ。長い間、私を心の内側から支えてくれた彼らには「ありがとう」の気持ちしかない。私はこれからも彼らの音楽、エンターテイメントに魅了され続けるし、これからは、嵐が続くように、微力でも、私個人ができることをしていく。

 「大野智とわたし。」についても記しておく。私は彼のことがずっと大好きで、彼のことは何でも理解したいと思ってきたし、文章に出来るならしたいと何度も思ってきた。だけど彼はすごく繊細な心の持ち主で、純粋で、複雑で、私の文章には起こせなくて、どうしても陳腐になってしまって、「下書きの肥やし後、デリート。」が、私の理解力と語彙力と私の見ている彼だと思っていた。その彼の掴めなさがまた魅力で、掴みたくて、掴みたくて、大好きだった。彼が続けていたという5年日記を私も書いてみたり、伊藤若冲やノーマンロックウェルの絵を調べたり、ラジオを録音して何回も聞いたり、そんなオタクライフは最高に充実したものだった!彼はたまに、純粋さ故に、すごく破天荒なことをするし、したいのだということに、薄々気付いていた。大野智は破天荒で潔いアイドルだと、私の日記には書いてあった。その破天荒がどうか「嵐を辞めたい」でありませんようにと願うあまりに、私は嵐ファンでいる私と大野担でいる私にすごい矛盾を感じていたのだと思う。たぶんそれは、彼も同じで、私が迷っているときに彼も、嵐の大野智と人間大野智の間で揺れていたのかなと勝手に想像している。私が今回の発表を受け入れられたのは、大野智が第一発案者だったからだ。私が担降りしようか迷っている時に彼もたぶん沢山揺れていたのだと思えたからだ。担降りのタイミングに若干の後悔はあるけど、実際は、お互いが矛盾から解放され始めたタイミングだったのだと思いたい。「大野くんが書いているから私も!」単純バカな理由で始めた5年日記には、私というオタクが見てきた彼が沢山記されていた。その上で発表を聞けたから、わたしは今、本当の彼をやっと掴めた気がしている。だから担上がりはしない。だけど、私がただただ大好きと好奇心だけでしてきたオタクは、全部無駄じゃなかった。あの瞬間、私は私の見てきた大野智に確実に救われていた。私の見ている彼は彼でしかなくて、大野智大野智としか表現できない、オンリーワンが彼だ。私は彼をちゃんと愛していたし、愛せていたし、彼はファンからの愛を受け取り過ぎて、このままでは潰れてしまっていたのかもしれない。だから、私は「休みたい」にまとめられてしまう、彼の選択を、理解しようと思う、いち嵐ファンとして、受け入れようと思う。ちゃんと私が受け入れて、彼がきちんと休んで、いつの日か艶々の顔をして彼が帰ってくるのだとすれば、その彼は私の一番好きな彼だから、私はきっと彼を大好きな人ではなくて、担当と呼びたくなると思う。何やかんやで、いつまでもどこまでも、私は大野智が大好きだ。担当という言葉で表すには、この気持ちは重過ぎて、今の彼を縛ってしまう気がするので、彼が帰ってくるその日までこの言葉は誰にも渡さずにしまっておく。

 

 

これが私の「嵐とわたし、」であり、「大野智とわたし。」である。

 

 

 

 

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