愛すべき青色

全部がほんとで、全部がアイドル

救いを求めてしまう私たちに

※去年の智BDに書いて、1年間下書きに眠らせていた文章です※

 

 

 

 

2021年の幕が上がってから、11ヶ月が経ったらしい。

嵐が嵐としてステージに立たなくなって、まだ11ヶ月しか経っていないらしい。

 

これまで何かあっても、「ま、嵐に会う予定がありますんで。」でかわせた全てのことが、かわせなくなって

この生活の空虚を誰か救ってくれと、嘆いた日もあった。

 

私たち、本当によく2021年を生きました。お疲れ様でした(まだ後もう少し残っているけどね)。

 

こんな感情になるのは、これまで、私が、彼らと彼に、少なからず救いを求めていたからだ。

そして、無意識に求めてしまってた救いを、彼らと彼は、いつも、いとも簡単に与え続けてくれていたのだと、なくなって改めて気付かされる。

 

生活の中で嫌なことがあっても、テレビをつければ、ドームに向かえば、FCサイトを開けば、そこにはいつも、変わらない笑顔の彼らと彼がいた。

彼らはいつも、画面の向こうから、ステージの上から、私たちの方を向いて笑いかけてくれていた。

彼は、いつも、自由に生きればいいよと、画面越しに、スピーカー越しに、勇気をくれた。

 

彼らと彼は、欲しい言葉を、感情を、世界を、いつもいつも、私たちの届けてくれていた。

現実の世界で、欲しい言葉や感情がいつも与えられるなんてことがないと理解しているからこそ、私は、彼らと彼に救われていたのだと思う。

嵐のいる世界が、大野智が活動する世界が、間違いなく私を救ってくれていた。

 

そして、現実の世界には、救いばかりではないと理解しているからこそ、

私は、人々からの期待に応えることを手放した彼の決断を受け入れたいと思った。

 

一方で、

今まで当たり前にあった救いがなくなったことで、気付かされる現実の報われなさと生活の空虚さは、いつも私の周りに絡みついて、どこかで彼のことを望んでしまっている自分の存在に気づいては、彼の決断を無意識に否定していることに失望したりしていた。

 

彼の決断を受け入れようとする理性と、彼がいない生活を受け入れきれない感情の狭間で、揺れ続けた11ヶ月だったと思う。

 

・・・

 

2021年11月26日は、大野くんの41回目の誕生日だった。

活動休止中の彼に何かをして欲しいなんてこれっぽっちも思っていなくて、むしろ、何もないことこそ、祝福されるべきことだと“考えて”いた。

頭の中では、そう考えていたけれど、Twitterに表示された「智」の文字を見ると、そんなことどうでもよくなってしまった。

 

大野くんは、結局いつもこちらに手を差し伸べてくれる。

大野くんは、私たちが思っている以上に、私たちのことを考えてくれているし、私たちのことを理解してくれている。

私たちは、結局いつも大野くんに救われてしまうのだ。

 

こんな経験をどこかでもしたことがあるなと思った。

 

休止発表後の5×20ツアーの挨拶もそうだった。

休止前、最後に個展を開いてくれたのもそうだった。

 

手放しても尚、大野くんは、私たちの方を向いて微笑みかけてくれた。

とてつもない優しさを孕んだ手を、私たちの方へ差し伸べてくれた。

これだから、これだから。

 

彼を近くに感じられない日々に空虚を感じても、結局、彼から離れることはできないと思った。

彼のことを応援し続けたいと思う。

 

41回目のお誕生日おめでとう。

大野くんのおかあさん、

いつも大野くんを産んでくれてありがとう。