愛すべき青色

全部がほんとで、全部がアイドル

5×20に参加して半年が経って書き残したいこと

嵐の休止発表後、初の現場である5×20ツアー10月30日東京公演に参戦して半年が経った。

ここ数日、この公演で感じたことを文字に起こしたいと強く感じる出来事があったので、情報鮮度は低いがパソコンを開くこととする。

 

 

 

私がこのコンサートに参戦して思ったことは、ただ一つ。

 

「エンターテイメントの力」は存在するということだ。

 

私は、この東京公演に参戦するまで、どうしても嵐のことを、「活動休止を控えた」嵐としてしか見れなかった。

「活動休止するから」目に焼き付けようとか、「活動休止するから」ちゃんと応援しなきゃとか、特別な色眼鏡をかけて嵐をみてしまっていた。

 

そんな私が、はっとさせられたのは、櫻井くんの言葉、だった。

それまでの私は、色眼鏡をかけていることにすら気づかず、納めよう、おさめようとしていた。しかし、櫻井くんはそんな私を一喝するかのように「来年末で活動休止する嵐の皆さんです。ちゃうちゃう。今年で20周年を迎える嵐の皆さんです。」と言った。

そうだ。嵐が5×20ツアーで、たくさん公演するのは、決して「暫しの間さよなら」を伝えるためではなく、「嵐が20年間変わらず、5人で活動してきたことを、ファン全員でお祝いする」ためなのだ。

櫻井くんの挨拶を聴いて、せめて、これからの自分は、嵐の軌跡を、1番に祝福しようと思った。櫻井くんにこの言葉を貰わなかったら、今も私は、おめでとうを忘れて、さよならを言い続けていたのかもしれない。

 

そして、大野くんの最後のあいさつ。

母から、5月の福岡公演のレポを貰っていたので、十分知っていたつもりだったけど、「生」の力を感じた。

それまで、大野くんの「休みたい」が理解できず、なかなか前に進めなかった私だった。

しかし、「活動休止後も体型維持しようと家で1人コンサートしようと思う。」そう言い放った、大野くんの、休止発表前とは明かに違う声色や表情、そして言葉を、真近に感じることが出来て、ぐるぐると縛られた心の縄が解けていくような気持ちになった。

「大野くんが前進しているのに、私が進まない訳にはいかない」と強く思った。

後に大野くんのこの言葉は、大野くんらしいやさしさが詰まりにつまったものであったことを知った。大野くんのやさしさ、私のもとにもちゃんと届きました。

 

 

コンサートのあの空間には、特別な力がある。アイドルと私達は、あの空間で、色んなものを共有することができる。

「彼方へ」にある「今日の陽が昇るまで 音楽がコトバ以上 真心伝うこと 幾度となく見てきた」という歌詞は、コンサートに携わる人それぞれの実感を伴ったものだと思う。

少なくとも私は、たくさんの音楽にのせてあの日、嵐が伝えてくれたポジティブなメッセージのおかげで、前に進めている。あの日の記憶を一生忘れないように、何ヶ月経っても、反芻して、守っていきたい。

 

そして、「エンターテイメントの力」を信じて、明日を待ち続けたいと思う。

 

 

嵐とわたし、

休止発表後はじめてちゃんと彼らについて公に残したい!と思えたので、パソコンを開くこととする。今日なら素直に書けると思う。これから先、嵐に関して迷いそうになったら私は自分自身にこの文章を読み聞かせるつもりだ。

 

 遡ること1月中旬、私はインフルエンザに冒されていた。2週間後にテスト、1か月後に初の海外留学を控えた私にとって、インフルエンザは痛手でしかなかったし、もっと言えば、短期だと言ってもこれから異国で暮らさなければならないのに、自分の体調すら管理できない自分に嫌気がさして止まなかった。ギリギリでいつも生きてしまう私は、今回のテストも留学もギリギリだけど、きっと成功させてやろうと、何とか気持ちを前に向かせようとしていた。嵐の活動休止発表はその一週間後のことだった。

 わからなかった。大野くんひとりの気持ちで、他の4人の、もっと言えば嵐を取り巻く人達の生活や将来が大きく変わってしまっていいものなのか、こんなに太くまっすぐに進んできた彼らを止めてしまっていいものなのか。嵐がわからなかった。だけど大野くんにお仕事のモチベーションがないことはなんとなくわかっていたから、そこだけは理解している自分がいた。こんな時になってやっと、大野くんと、繋がれてしまったと感じた。夜も更けてきて、ワイドショーがうるさいくらいに、嵐の会見を放映しはじめていることをツイッターで知った。ゼミの期末レポートを完成させるまで、会見は絶対に見ないと決めていたので、私が会見を見たのは深夜23時過ぎだった。全部わかりすぎて、色々なことが繋がりすぎて、正直こわいと思った。嵐5人が素敵で優しすぎて、涙が止まらないなんて当たり前で、声が自然に溢れてしまって、体の中身が絞り取られる感覚だった。嵐という一大プロジェクトを、近すぎて遠い所から眺めている私を、客観視している自分がいた。映画のワンシーンに入ってしまった感覚のモブおじAな自分と、すごい悲しさの波にのまれそうになっている等身大の自分がいて、嵐という奇跡が暫く、近くで見れなくなること、いつ見れるようになるのか分からないことが、悲しくて、大野くんにこんな気持ちにされていることが少しだけ悔しかった。日本人全員が嵐の休止を静かに悲しんでいて欲しいのに、メディアも、周りの環境もそんな訳なくて、言ってしまえば、ファン以外にとって嵐はたかが国民的アイドルで、エンタメのひとつでしかなくて、自分が見てきた嵐の真価を本当に疑いたくなった。そういう自分が一番嫌いだと思った。最高の楽しいをくれる最強にやさしい嵐の、社会的影響力を改めて認識した瞬間だった。私が見てきた嵐とは一体何だったのだろうかと必死で考えた。

 次の日、レポートを提出しに学校に行った。テスト勉強がつらい時はいつも「今日から私は櫻井くん」というスローガンを胸に、櫻井翔ならどういう選択をするのか、ということを考えるようにしている私は、今回も「櫻井くんならレポートはちゃんと出すし、テストも受ける、きっとそう、だから私も。」と思っていたけどレポートを出し終えた途端に涙が止まらなくなって、直帰した。外に居て聞こえてくる「嵐」と嵐に関連するワードが矢みたいに私の方に向かってきて、刺さるのではないのかとこわかった。この時の私は晩御飯のことを忘れるくらいおかしくて、いつも通りのことが出来なかった。そして、嵐を追いかけはじめた頃からの出来事を思い出していた。過去の亡霊というやつになっていた。嵐と共に、自分の過去と対面して、どんな時も大好きなものがあることはすごく素敵なことだけれど、それを失うことの怖さにはじめて気付いた気がした。自分崩れちゃうかもなと本気で思ったりもした。だけど、案外私という人間は頑丈に出来ていて、それを思ったのを最後に、それ以上大きくぐらつくことはなかったし、今もぐらついていない。なんとまあ、こういう時だから交通事故に注意しようとか冷静すぎることを考えている自分もいて、「嵐を前にした自分きもちわるいが飽和して面白すぎん?」などど自惚れたりもしていた。3周くらい考えた結果、私の過去に寄り添い続けてくれた大野くんや嵐が、必死に美しい世界を見せようとしてくれている状況で、自分の寂しいや悲しいなどという気持ちだけを嘆くだけの、生半可なオタクではいたくないという結論に至った。

 

  私は今までオタクが行き詰る度に、「ファンとは?」ということを考えてきた。櫻井くんの表現をかりるなら嵐と言う一大プロジェクトに協賛する人がファンだし、わたしなりの解釈では、嵐のことをきちんと肯定できる人、嵐の行く道を照らし出す存在がファンだと思う。私は今、プロジェクトの進行を阻む存在になってはならない。嵐の行く道に、雲がかかりそうな今だからこそ、私たちファンはその道を照らし続けなければならない。嵐のした選択を一日も早く本当の意味で理解して、受け入れなければならないのだ。

 こんな強気なことを書いてみたものの。実際は発表から4ヶ月が経とうとしている今も、私の気持ちは不安定で、嵐のことを直視出来ないときがある。ファンではない人から見れば「嵐の休止」たったそれだけの事実だが、ファンにしてみれば十分に辛すぎる事実で、ひとりで抱えるには重たすぎると思う。私は最近、こんな気持ちは嵐ファン同士でなければ分かり合えないと思いながら、嵐ファンの先輩や友達、後輩、家族と話している。もしかしたら、私が話すことで私はほかの嵐ファンを傷つけているのかもしれない。そう思って、話すことに臆病になっている自分は確かに存在している。だけど、自分が本当の気持ちを話してみてはじめてわかったことがある。それは、それぞれが観ている嵐は同じでも、捉え方は人によって違うのだということだ。私は、嵐を好きだと思う人達がそれぞれの窓から切り取った嵐をもっともっと聞きたい。そして、わかり合いたいと強く思う。そのために、嵐ファンである私は嵐のことを、これからも胸を張って好きだと言うし、その一手段として今、ブログを書いている。ファンはみんな「嵐が好き」だ。こんなに大きな共通項で括られることのできる私達は、きっと共感し合えるし、嵐が前を向いている間は、大丈夫だ。強くつよく行ける。

 

 最後に、一人でも多くのファンと分かり合いたいからこそ、今回タイトルに付けた「嵐とわたし、」について私なりの言葉で記しておくこととする。私はどんな嵐も肯定したいと思って応援してきた。一般人の私は、一般人みたいなスーパーアイドルを肯定すること、そして、どうやって肯定するのかを考えることで、彼らからたくさんの勇気をもらってきた。私が頑張る時はいつも彼らの音楽が側にあって、悲しい時はいつだって、彼らの笑顔が励ましてくれた。全部を捨ててしまいたいと思った時、「全部置いてけよ」って、「元気にしてやるよ」って言ったのは彼らだったし、冗談めかして「大尊敬嵐さん」って呼んでいたこともあったけれど、それは本当で、私にとって彼らはいつまでも大尊敬したい存在だ。長い間、私を心の内側から支えてくれた彼らには「ありがとう」の気持ちしかない。私はこれからも彼らの音楽、エンターテイメントに魅了され続けるし、これからは、嵐が続くように、微力でも、私個人ができることをしていく。

 「大野智とわたし。」についても記しておく。私は彼のことがずっと大好きで、彼のことは何でも理解したいと思ってきたし、文章に出来るならしたいと何度も思ってきた。だけど彼はすごく繊細な心の持ち主で、純粋で、複雑で、私の文章には起こせなくて、どうしても陳腐になってしまって、「下書きの肥やし後、デリート。」が、私の理解力と語彙力と私の見ている彼だと思っていた。その彼の掴めなさがまた魅力で、掴みたくて、掴みたくて、大好きだった。彼が続けていたという5年日記を私も書いてみたり、伊藤若冲やノーマンロックウェルの絵を調べたり、ラジオを録音して何回も聞いたり、そんなオタクライフは最高に充実したものだった!彼はたまに、純粋さ故に、すごく破天荒なことをするし、したいのだということに、薄々気付いていた。大野智は破天荒で潔いアイドルだと、私の日記には書いてあった。その破天荒がどうか「嵐を辞めたい」でありませんようにと願うあまりに、私は嵐ファンでいる私と大野担でいる私にすごい矛盾を感じていたのだと思う。たぶんそれは、彼も同じで、私が迷っているときに彼も、嵐の大野智と人間大野智の間で揺れていたのかなと勝手に想像している。私が今回の発表を受け入れられたのは、大野智が第一発案者だったからだ。私が担降りしようか迷っている時に彼もたぶん沢山揺れていたのだと思えたからだ。担降りのタイミングに若干の後悔はあるけど、実際は、お互いが矛盾から解放され始めたタイミングだったのだと思いたい。「大野くんが書いているから私も!」単純バカな理由で始めた5年日記には、私というオタクが見てきた彼が沢山記されていた。その上で発表を聞けたから、わたしは今、本当の彼をやっと掴めた気がしている。だから担上がりはしない。だけど、私がただただ大好きと好奇心だけでしてきたオタクは、全部無駄じゃなかった。あの瞬間、私は私の見てきた大野智に確実に救われていた。私の見ている彼は彼でしかなくて、大野智大野智としか表現できない、オンリーワンが彼だ。私は彼をちゃんと愛していたし、愛せていたし、彼はファンからの愛を受け取り過ぎて、このままでは潰れてしまっていたのかもしれない。だから、私は「休みたい」にまとめられてしまう、彼の選択を、理解しようと思う、いち嵐ファンとして、受け入れようと思う。ちゃんと私が受け入れて、彼がきちんと休んで、いつの日か艶々の顔をして彼が帰ってくるのだとすれば、その彼は私の一番好きな彼だから、私はきっと彼を大好きな人ではなくて、担当と呼びたくなると思う。何やかんやで、いつまでもどこまでも、私は大野智が大好きだ。担当という言葉で表すには、この気持ちは重過ぎて、今の彼を縛ってしまう気がするので、彼が帰ってくるその日までこの言葉は誰にも渡さずにしまっておく。

 

 

これが私の「嵐とわたし、」であり、「大野智とわたし。」である。

 

 

 

 

読んでくださった方の「嵐とわたし、」よかったらコメント欄で聞かせてください!

きみの心が大好きで

5×20ツアー名古屋に、参戦してきた。

参戦して、大野くんに関してわかったことは、今の彼に個人のお仕事をするモチベーションはあまりないということ。彼の口からそれが聞けて、もちろん落胆はしたけれど、正直、少しほっとしている自分がいる。

 

思い返してみると、さとラジが終わってから、大野くんは今何を考えているのかだとか、大野くんまた嵐辞めたいと思っていないだろうかかだとか、色んなことを憶測で考える悪い癖がついてしまっていた。そして私は、雑誌を隅から隅まで読んだり、録画を何往復もしたり、同じように大野くんのことを思うオタクのTwitterを見たり、色んな方法で大野くんの気持ちを必死に探ろうとしていた。だけど、私がしてきたことからは、何一つはっきりとした彼の意思を見つけることは出来なかった。

だから、彼のそのままの気持ちを久しぶりに聞けて、苦しかったけどほっとしたのだと思う。

 

 

今更ながら、はっきり言う。さとラジが終わって、忍び旋風が落ち着いてから、私の中の彼は鮮明さを失った。彼は自分の気持ちを言葉や表情にすることをすごく苦手としていて、だからこそ彼の気持ちを知ることのできる個人の活動は重要で、私にとってさとラジは彼の気持ちを知るうえですごく大事な時間だった。さとラジはファンと彼を繋ぐ大事な大事な5分間弱だった。忙しい時に、「忙しいです。でもやるしかないです。」って言う彼なりの真摯さが好きだった。忙しくないときにはわかりやすく「そんなに大したことないですよ。」って言う彼の飾らなさが好きだった。もちろん、彼の歌、彼のダンスにはずっと魅かれている。だけどその感情の根底には、大野くんが忙しい中届けてくれる歌だからとか、大野くんが考えに考え抜いた振り付けだからとか、精神的な理由も少なからず含まれていたと思う。

そんな時間が無くなってしまった今、私は、現在進行形の彼を過去のものとして見てしまうし、今の彼を否定してしまう。私が一番嫌って来たこと。したくなかったこと。

 

 

担降りです。

きっと大野くんは何も変わってなんかいなくて、そのままに老いようとしているし、変わらず嵐のことを好きでいる。変わったのは、彼を取り巻く環境の一つと、それに順応できずもがいた私だ。大野くんは何一つ悪くない。むしろ今まで、大野くんの世界や心に少しでも触れることが出来て幸せだった。私に歌や踊りで感動を与えてくれたはじめての存在が大野くんだった。私を救う言葉をくれたのは大野くんだった。

名古屋で、彼の変わらなさにもう一度気付くことが出来てよかった。私の中で彼を応援した思い出、彼からもらった気持ちは一生消えることのない宝物だ。

 

大野くん、沢山たくさんありがとう。

これからもどうか変わらず、お元気で。

 

 

 

 

 

うちわの話

今年もなんとか会うことができる。

 

今までのぐだぐだしたオタクに踏ん切りをつけるために、大野くんから自分らしく降りるために今年はありったけの思いを伝えに行く。

 

 私たちファンが別世界に住む彼らに思いを伝える方法は色々あるけれど、一番簡単にまっすぐに伝える方法は応援うちわしかないと信じて、私はそれを作ってきた。

 

うちわを振れば、ファンサの数に限りはあっても、必ずよく見えてるよ、見てるよ、って言い続けてくれた自担だから、面倒くさがりで不器用な私でも毎年作ってきたのだと思う。

 

そして今年は20周年のアニバーサリー。

 

アイメッセージ、ユーメッセージという言葉があるように、今までは「釣って」だの「ピースして」だの「こっち見て」だのとにかく目の前の"あなた"にして欲しいことをうちわに貼り付けてきた。だけど今年だけは、ちゃんと私が伝えたい。"わたし"は「ありがとう」と思っているし、"わたし"は「出会えてよかったよ」って思ってる。そして彼らの軌跡がここまで続いたこと心から祝福したい。「おめでとう」を"わたし"は伝えたい。

 

だから、あなたにして欲しいことじゃなくて、わたしが伝えたいことを、直径30センチの黒い板に託すと決めた。嵐に出会えてよかったし、これからも嵐を取り巻く世界がどうか素敵で優しくあって欲しいと思っている。そんな気持ちがほんの少しだけでいいから伝わればいいな。

 

準備はもう始まっている。

あいみょんを聴くとき、私は。

 8月。学期末テストに追い詰められた私は、これからを生きるモチベーションを探すためにいろんなコンサートに応募した。不思議だ。8月に応募するコンサートって大体10月とか11月に公演があるのに、それが決まるだけで今その時を頑張ろうと思える。

 

 テスト真っ最中、あいみょんに当たった。テスト勉強のお供は、安心安全の嵐さんとあいみょんの交互に決定。とは言っても私があいみょんを聴ける媒体ってYouTubeだけで、あいみょんのたくさんを知らなかった。

 

 だからかな、一昨日借りてきたあいみょんのアルバム達がすごい衝撃的だった。あいみょんってあいみょんって響きじゃん?だから正直舐めてかかってたと思う。入り口はいつも舐めてかかる、私の悪いところだ。

 

 あいみょんの曲と私の歩くテンポは一緒だし、誰かに愛されたいと思ってるけど、何で愛されないかも自分でわかってる。これって私じゃん。嗚呼、いま私、この曲の主人公だ。そう思わせてくれる曲がいっぱいあった。

 

自分の好きなところも、大嫌いなところも。

私の幸せも、とんでもなく暗いところも。

私の堅すぎる部分も、甘すぎる部分も。

 

そのままの私たちを歌うあいみょんの虜になった、秋の始まりのこと。

 

 

 

 

ライブ楽しみだなぁ〜〜〜〜!!

青春のエキサイトメント

tamago

憎まれっ子世に憚る



 

 

 

 

 

 

 

IROあせないで、2018夏。

 今年も、夏が行く。

 大学生の私にもいよいよ秋がやってきた。

 

 夏のはじまり、親友とした「平成最後の夏は、色んなこと気にせずにいっぱい遊ぼうね。そんで次の○○(次の元号)最初の夏は、うちらが背負ってく時代だから、お互いに実習やらインターンやら頑張ろうね。」という会話。なんでだろうな、平成最後の日々を過ごしてるのに、夏にだけは平成最後ってつけたくなる現象。とにかく私はこの会話の責任を取るべく、毎週のように遊んだし、やりたいことも、しなきゃいけないこともした。こんなにたくさん遊んだのは生まれて初めてだったし、それに伴う移動も強行スケジュールも初めてだった。だからこそなのかもしれない。今年の夏は私の中の「最高の夏」が更新された感覚がはっきりあった。平成最後の夏、楽しかった!!

  

 そんな夏の終わりって、誰しも淋しさを感じるものだと思う。今になって私も淋しくなって、嵐の夏の終わりソングを聴いてこの気持ちをやり過ごそうとしている。嵐は夏に青春をくれたグループであり、過ぎる時間の切なさを教えてくれたグループだと思う。

 

そんな状況に、ぴったりあてはまる曲があった。正直、いままでそんなことあるかよって思ってた曲で、今年になってやっとわかるようになった曲だ。それが「IROあせないで」だ。「IROあせないで」と言えばいつかの会報で櫻井くんが歌詞について言及していて、中学生だった私は、櫻井くん難しいこと書いているなって思った記憶があった。そして、私はこの記憶を頼りに、会報ファイルから再び彼の言葉を引っ張り出すことに成功した。

これ(「IROあせないで」)は当時からすごい好きな曲で、"灼けた肌が覚めるのが 今年はさびしいよ それは大人になることと たぶん似てる"ってフレーズが大好きだったんだけど。それはもう、今は共感しないんだ。むしろ、"この気持ち 色あせないで"っていうサビの方だよね。曲ってさ、年とともに成長するし、意味合いが変わっていくじゃない。"この気持ち 色あせないで"って歌ってた10代の時と、今いう"色あせないで"って…やっぱり違うよなって思う。

        嵐ファンクラブ会報61号「メンバー系 アラシコンピ!2012‐2013」より

 

 櫻井くん、流石だ。今の私の気持ちを100%代弁してくれている。いま私、灼けた肌のフレーズにめちゃめちゃ共感してる。日焼けが薄くなるの女子的には嬉しいことなんだけど、それと共に色んなことに心躍らせた夏の日々も忘れるのかと思うとちょっと淋しいと思う。同じように、今は、はじめてで緊張したりわくわくしたりすることに慣れて、大人になることもちょっと淋しいことだ。

  2002年、20歳の櫻井くんが大好きだったというフレーズを、あと数日で20歳になる私が大好きでいる。音楽が時代を越えるってこういうことを言うのかもしれない。だけど、櫻井くんのこの言葉は、30歳を越えた櫻井くんだからこそ生まれた言葉だと思う。そういう意味で、やっぱり櫻井くんは、そして、この曲を歌う嵐は、私の前を進む人達で、私はそういう彼らを何歳になっても、担降りをしても、ずっと尊敬し続けるんだと思う。

 

 いつもの道、家まで送ってくれる人はいなかったけど、歩道橋で夕陽のオレンジにいとしさをせつなくされたこともなかったけど、たくさん遊んで、たくさん学んで、たくさんのはじめてを経験した、10代最後の夏の "この気持ち 色あせないで" って気持ちだけは本物だ。

 

 

HERE WE GO ! (通常盤)

 

 

 

 

愛にまつわるエトセトラ

 はじめてのうわきを経て、見事なほどにキンプリちゃんと平野紫耀に堕とされた私が、決めたことがある。

 

「大野くんに次の大きな仕事が来たら、それを見届けて彼から担降りをする」

 

 未練がましいオタクだと言われるかもしれない。都合がいいオタクだと言われるかもしれない。だけど、文春に嵐の二人が撮られて、キンプリちゃんのコンサートが終わって、自分なりに考えて考えて出した、私の結論だった。今からその言い訳をしようと思うので不快に思う方はUターンを願いたい。

 

自担が幸せになるということ

 このことについては、今まで何度も考えてきたつもりだった。2015年の秋の始まり、おそらく失恋をして泣きはらした顔の自担が、それでもステージに立ち続けてくれた自担が、人間らしくて、すこしだけわがままだった自担が、私は大好きだ。

  そんな彼にも、彼らにも幸せの時が近づいているんだなって、文春さんが否が応でも思い知らせてくれた。ファンでいるなら、大好きな人がした選択をちゃんと受け入れなければと思う。だって私の自担は私たちの存在をいつだって肯定し続けてくれているから。私も自担のことだけは絶対に否定したくない。応援しはじめた頃は、お兄ちゃんと呼べた彼らも、アラフォーと呼ばれる大人になって、だけど、私はまだ結婚、ていうか、恋愛すら理解していない。私には担当のする選択を受け入れられる器がきっとまだ備わってない。18歳上の大好きな自担には私が大人になりきるまでずっとずっとお兄ちゃんで居て欲しいと思ってしまう。だから大好きな人達、大好きな自担を否定する前に私は担当を降りようと思った。

 

オタクの慣性

 もっともらしい綺麗なことを並べて降りようとしているオタクがひとり。

 実際のところ私は大野くんを追いかけることを慣性でやっている部分があって、いきなりそれを止めるにはすごい力が必要で。走る車に急ブレーキをかけるとすごい熱が生まれるのと同じように、いきなり担当をやめてしまえば、私はすごい悲しみとか後悔に苛まれるんだろうなと思う。だから一段一段階段を降りるように、丁寧に自担から降りていきたいと思う。

 

自担の大仕事を見届ける仕合せ

 忍びの国が公開した日のことを私は一生忘れないと思う。原作を読まずに大野くんの演技だけを見てただただ涙して、映画館の椅子から立ち上がれなくなる感覚。自担の映画が公開されることに対する誇らしさと、自担の演技にいい意味で最後まで裏切られ続ける喜び。何回思い出したって、こんなにオタク冥利に尽きることはないなぁと思う。以下は忍びの国を見た日の私の5年日記だ。

自分の好きな人がすり減るように頑張った作品にいい意味で裏切られたいから、大野くんがすり減る姿を見るのはしんどいけど、その過程を含めて、自担の映画が見たいです。素敵な経験、ほんとにありがとう、大野くん。また少し休んだら演技のお仕事やって欲しいな。

 

 私は、本当にわがままなファンだと思う。だけど大野くんの頑張る姿を見届けたら絶対に降りることに後悔しないと思う。いっぱいに満たされたありがとうの気持ちで私は大野くんを降りられると思う。何が大きな仕事なのか、私の中では正直はっきりしていない。主演映画かもしれないし、連ドラかもしれないし、紅白の司会かもしれない。私がこれだって思ったお仕事を見届けたら降りる。ほかの人にはとやかく言わせない。降りるのは私だ。

 

ありがとうで閉めること

 私が期限を定めて応援したって、今すぐ担当を降りたって、降りなくたって大野くんには関係のないことだろう。だけど。部活で悔しくて泣いたとき、勉強に行き詰ったとき、将来のことに悩んだとき、人とどう関わっていいかわからなくなったとき、どんな時も自然体でいいんだよ、頑張るべきときに目の前のことを頑張ればいいんだよって、メッセージを届けてくれたのは大野くんだった。だから、これは、オタクの自己満で、最後のわがままだ。ちゃんとツアーに当たってありがとうを伝えてから終わりたい、降りようと決めた。外れたらどうなるかなんて外れなきゃわからないけど、決めた。

 

だから私は、私が満足するまで胸を張って大野くんを自担って呼ぶし、近い将来、それを辞める。